「まじめに働き、貯金しなさい」だけで子どもを守れるか?「こどもNISA」でオルカンの父が問うマネー教育
親から子へ渡すお金と知恵
2027年1月から、NISAのつみたて投資枠が18歳未満にも広がります。10月20日、NHKラジオ「Nらじ」に出演し、こどもNISAについてお話ししました。
番組では、「子どもに投資をさせていいのか」という趣旨の問いが投げかけられました。これまで「お金は無駄遣いをせず、貯金しなさい」と子どもに教えてきた親にとって、投資による損失の可能性は気がかりでしょう。子どもを損失から守りたいという、親の率直な気持ちを代弁する問いだったと思います。
その懸念は理解できます。私自身、こどもNISAを無条件に評価しているわけではありません。しかし、子どもを守ることと、投資から遠ざけることを、同じように考えてよいのでしょうか。まず、「子どもに投資をさせる」と聞いて、どのような行為を思い浮かべているのかを考えてみたいと思います。
値動きに偏る投資観
投資は、2つの正反対の切り口で語られることが多いと思います。
1つは、相場の先行きを予想し、値上がりする銘柄を探し、売買の好機を示すものです。安く買って高く売ることが投資であり、そのための情報をいち早く得ることに価値があるという情報発信です。
もう1つは、株価を正確に予測することは難しく、損失の可能性がある以上、できるだけ投資を避けた方がよいという主張です。
この2つは対立しているようで、どちらも投資を主に値動きの問題として捉えています。前者は値動きから利益を得ることを強調し、後者は値動きによって損失が生じることを警戒します。残念ながら、こうした議論の中では、企業の一部を所有することの意味や、長い人生の中で資産をどのように保有するかという視点が、十分に伝わっていないように感じます。
相場予想や企業分析には、それぞれ役割があります。ただ、それを投資に参加するための必須条件として伝えれば、日々の仕事に追われる人には、投資は時間や専門知識を要する取り組みだと映るでしょう。さらに、予測できないから危険だという説明が重なれば、投資から距離を置くことが賢明な判断に思えてきます。
投資と投機の境界を一律に線引きすることは難しいと思います。それでも、短期の値動きを予想して売買することと、生活の目的に合わせて資金を分け、多くの企業に長期で投資することでは、取り組み方が異なります。
長期・分散投資にも損失の可能性はあるため、投資の目的と、引き受けるリスクを併せて考える必要があります。こうした違いが十分に伝わらず、「もうかるか、危ないか」という議論に偏ってきたことも、人々と投資の距離を広げた一因ではないかと私は考えています。
働く力と資産の持ち方
「まじめに働きなさい」という教えを、私は尊重したいと思います。ただ、その教えに「そうしていれば、将来の暮らしも大丈夫だ」という約束まで含められるものではありません。
本人がどれほど誠実に働いても、勤務先の経営判断や産業の変化までは決められません。努力を重ねても暮らしが苦しくなることがある一方で、本人の努力とは別の事情から、保有する資産の価値が増すこともあります。
経済的な結果は、その人の勤勉さのみで決まるものではないのが現実です。社会には、こうした非情な一面があります。だからこそ、働く力を磨くことと、働いて得た資産をどのように保有するかを考えることのどちらも大切にしたいと思います。
私たちは、働くことで給与を受け取ります。それに加えて、企業の株式を保有し、所有者としてその企業の成果に参加することもできます。
例えば、勤務先以外の企業が利益を伸ばしても、それが自分の給与に直接反映されるわけではありません。しかし、その企業の株式を保有していれば、配当などを通じて成果を受け取る可能性があります。同時に、事業の不振や市場の評価によって、資産価値が下がるリスクも引き受けることになります。
「働く人」と「企業の株式を持つ人」を、別々の人間として考える必要はありません。働いて得たお金の一部を投資に回し、多くの企業の株式を少しずつ保有することで、同じ人が、働く立場と所有する立場の両方を持つことができます。
「まじめに働き、無駄遣いをせず、貯金しなさい」という教えの中で、蓄えたお金をどのように保有するかまで、私たちは十分に伝えてきたでしょうか。企業の株式を持つことを、特別な人だけのものだと考えていないでしょうか。勤労を大切にすることと、資産を持つことは両立します。働いて得た資産を将来の暮らしにも役立てることは、勤労の成果を大切にすることにもなると考えています。
暮らしにあるリスク
多くの会社員にとって、給与を受け取る先は一つです。仕事に打ち込み、能力を磨いていても、収入や雇用の先行きは、その会社や産業が置かれた環境に左右されます。
投資している株式の値下がりは、数字としてすぐに把握できます。一方、将来の収入がどの企業や産業に依存しているかは、日常生活では意識しにくいものです。株式を保有していなくても、経済環境の変化による影響を免れるわけではありません。
働く先が一つでも、投資する先まで一つに限る必要はありません。生活に必要なお金を確保したうえで、当面使わないお金の一部を、国内外の多くの企業に分けて投資する方法があります。自分が働く会社以外にも、投資を通じて関わる先を広げるという考え方です。
ただし、株式投資にはリスクが伴います。景気が悪化すれば、雇用や収入への不安と株式の値下がりが重なることもあります。収入が不安定な状況では、預金を十分に確保する判断にも合理性があります。
そこで必要になるのは、家計全体を捉える視点です。給与は何に左右されるのか、収入が途絶えた場合の支出にどう備えるのか、将来に向けた資産をどのように保有するのかを、併せて考えます。その中で、分散投資の役割を改めて考える必要があります。
リスクを学ぶとは、株価が下がる可能性を知るだけではありません。自分の暮らしが何に支えられ、どのような変化の影響を受けるのかを理解することです。こうした知識を学ぶ機会を、大人になるまで先送りする必要があるのでしょうか。
親子で学ぶお金との付き合い方
こどもNISAについて、私が懸念しているのは、親や祖父母から子どもへ資産を移すだけの仕組みになってしまわないかということです。親が資金を拠出して運用し、子どもがその意味を知らないまま資産を受け取ったとしても、将来に向けた資産形成としての意義はあるでしょう。しかし、子どもの口座に資産があることと、子ども自身がお金の扱い方を理解していることは別です。
家計の余裕によって、制度を利用できる金額は異なります。制度の公平性や親の負担について議論することも大切です。非課税枠があるからといって、その上限まで投資するために生活を切り詰める必要はありません。子どもの口座残高を、親の責任や愛情の大きさと結びつけるべきでもありません。
そのうえで私は、こどもNISAが、お金との付き合い方を親子で考える機会になればよいと思います。制度を使うかどうかという判断も含め、そこで何を学べるかに目を向けたいと考えています。
例えば、何のためのお金で、いつ使うのかを確認し、近い将来に必要な資金を価格変動のある資産に置くことが適切かを考えます。投資信託を通じて投資する企業の事業内容や、分散投資の意味、値下がりが将来の予定に及ぼす影響も、親子で話し合う題材になります。こうした問いを一緒に考えることには、運用残高を増やすこととは別の価値があります。
少額の投資を通じて学ぶことも、家計や身近な企業について話し合うことから始めることもできます。口座を開く前から、学べることは多くあります。親がすべての答えを知っている必要はありません。分からないことを一緒に調べ、理解できないままお金を投じない姿勢を示すことも、大切な教育になります。やがて子どもが、親の勧めに従うだけでなく、自分の生活に応じて判断できるようになることを目指したいと思います。
「子どもに投資をさせていいのか」という問いだけでなく、「子どもが、お金やリスクをどう理解して大人になるのか」という問いも同時に考える必要があります。
リスクがあるから遠ざけるのか、それとも、リスクがあるからこそ、その性質と向き合い方を学ぶ機会をつくるのか。私は、後者を生きる知恵として伝えたいと思います。
まじめに働くことを大切にするのは大前提です。そのうえで、その努力で得た資産をどのように保有し、将来の暮らしにどうつなげるかも学んでほしいと思います。親から子へ渡せるのは、お金だけではありません。自分で考え、選びながら生きていくための知恵もあります。
(JBpress 【連載】オルカン思考の先へ 2026年10月24日)
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